スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

原発再稼働反対デモの話:人によって意見は分かれるでしょうが

難波~日本橋の方にふらっと行った時、原発再稼働反対のデモを目の当たりにしました。

私としては原発再稼働問題について、中立の意見ってところです。ぶっちゃけ今の日本経済で原発を軽々しく止める訳にもいかないでしょうが、だからといって下手に動かすと納得できない人が多い。さすがにまた地震でも来ないと事故なんてそうそう起きないでしょうが、それを分かっていても不安になるのは当然です。

ですので、私は原発再稼働についてあれこれ言うつもりはありません。

そして、デモ自体にも苦言を呈するつもりはありません。
デモという形で自分の意見を伝えるというのは、過激すぎるし町に対して多少なりとも被害を与える(どうあっても「騒音」にはなりますし、デモ集団とは意見が反する者、今回でしたら原発再稼働に賛成している人にとっては害悪になるでしょう)でしょうけども、それを承知の上で、なお自分の意見を伝えようとするのは、並大抵の決意ではできないことだと思います。

特にデモとかあんまりやらない日本では尚更。
内容以前に、まずその行動力には称賛を送りたいと思います。



ただ私が気になったのは、原発再稼働反対のデモ集団が言っていること。
再稼働反対……まではいいんですが、これに付け加えて、「震災現場の瓦礫の受け入れ」をも反対しているんです。

この2つは、果たして同じ問題なのでしょうか。

もちろん根っこは繋がっているでしょう。原発事故が起きたから、放射能に汚染された瓦礫が生まれてしまい、行き場がないから被災地の復興が遅れているのでしょうから。
ただ、「原発の再稼働を反対すること」と、「震災現場の受け入れを反対すること」は、なんだか違う意味を持っている気がしてなりません。

私が思うに、前者は「国民の安全を守るため」という名分だと思います。
原発の再稼働=国民にリスクを伴わせる、ということですから、もし再稼働した原発がまた事故を起こしたら国民に被害が及ぶ、そうしたらどうしてくれるんだ、と言いたいのでしょうから。

でも後者は、「自分たちに危険・負担がかからないようにするため」のように見えるんです。
震災瓦礫の受け入れというのは、被災地の復興の支援でもあるのですから、行うことで助かる人がたくさんいるです。対して原発の再稼働は、助かるのは主に利権者です。
だって大半の原発が稼働していない今、深刻な電力不足にあえぐ、なんてことは起きていませんから。

震災瓦礫を受け入れれば、被災地は少なからず助かる。なのになぜ、瓦礫の受け入れを拒否するか。
それは、自分たちに厄介事が起きないように、ってことになりませんか?



そう考えると、あのデモ隊は結局、独善的でしかないのかもなぁ、と思ってしまいます。

個人的な線引ですが、「偽善」までは全く構わないと思っています。
だって世の中の善行の内、「相手のことだけしか思っていない」「本当の意味で、自分を投げ捨てることができる」ことなんて、本当に僅か、下手すると存在していないかもしれませんから。
これは人間にとって当たり前のことです。別におかしくありません。

ただ「独善」は駄目です。相手のことより自分のことを優先していたり、自分が良くなることを理由に善行をしているのは、善行だとは認めません。

原発再稼働反対と共に、震災瓦礫の受け入れを拒否するのは、自分たちのためだけにしか見えない。

そういう訳で、今日私が見たデモ隊は、ちょっと嫌な感じだなぁ、と思いました。
関連記事
スポンサーサイト
[ 2012/10/21 23:05 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://darkness3538.blog77.fc2.com/tb.php/1901-da3638f9











上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。