スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

がいだんす

――周りに認められなくてもいい
――だからといって、周りを認めないこととは、話が別だ




進級ガイダンスがありました。4月から(もう4月になって結構経っていますが……)私も3年生です。
……新2年生と勘違いして時間を間違えて学校に行ってしまったのは秘密。気づいてよかったぜ私。

まあ聞いた話といえば、進路のこととか就職のこととか、学年暦(1年の予定)、時間割表、今後の予定などで、割と厳しい話もありましたが、ここに書くようなことではありません。
ちょっと気になったというか、1番印象に残ったのは、次の話です。

「人間は殺人を許容できない。なぜなら許容したら、自分が殺されても文句を言えないからだ」
「それと同じことで、自分が周りに認められたければ、まず周りを認めることから始めろ」

殺人を許せないから、殺されることなく生きていける。
周りを認めるからこそ、周りから認められる。

この2つを同一視することには些か疑問が浮かびましたが、まあそれはそれとして、後者の考えを独立させて考えるだけでも、なかなかに興味深いです。

自分が誰も認めていなかったり、周囲を見下してばかりなのに、周りから認められない……と嘆く人が、いかに見当違いか、ということ。
確かにその通りだと思います。
周囲を見下してもなお、周囲に認められるのは、漫画とかラノベにいるような天才だけです。

とはいえ。

まだ――それでもちょっと、甘いというか。

「周りを認めるからこそ、周りから認められる」。
それは、逆に言えば、
「周りを認めれば、自分は周りから認められる」と“考えてしまう”こともできるわけです。

こうなると、「周りを認める」理由は「自分が認められたいから」という、なんとも自己満足な話になってしまいます。

だから私は、

「周りに認められなくてもいい。けれど自分が周りを認めるか否かは、別の話だ」
「例え周りに認められなくても、私は周りの人を認める。素晴らしいと思う」

……という考えでありたいです。
関連記事
スポンサーサイト
[ 2012/04/12 23:44 ] 学校生活(専門学校) | TB(1) | CM(1)

NoTitle

その論理だと
周りに認められたい人は
大変ですよね(笑)

僕は、やっぱり「憧れる!」とか言われたいから
認められるための努力をしないとですね…

つまり、「周りを認めること」は
人に認めてもらうための最低条件
という解釈での良いのかな

先は長いなぁと思ったり
[ 2012/04/13 21:00 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://darkness3538.blog77.fc2.com/tb.php/1621-9922f7d7


まとめteみた.【がいだんす】

――周りに認められなくてもいい――だからといって、周りを認めないこととは、話が別だ進級ガイダンスがあのは秘密。気づいてよかったぜ私。まあ聞いた話といえば、進路のこととか就職のこととか、学年暦(1年の予定)、時間割表、今後の予定などで、割と厳しい話もあり?...
[2012/04/12 23:55] URL まとめwoネタ速suru









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。