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原発再稼働反対デモの話:人によって意見は分かれるでしょうが

難波~日本橋の方にふらっと行った時、原発再稼働反対のデモを目の当たりにしました。

私としては原発再稼働問題について、中立の意見ってところです。ぶっちゃけ今の日本経済で原発を軽々しく止める訳にもいかないでしょうが、だからといって下手に動かすと納得できない人が多い。さすがにまた地震でも来ないと事故なんてそうそう起きないでしょうが、それを分かっていても不安になるのは当然です。

ですので、私は原発再稼働についてあれこれ言うつもりはありません。

そして、デモ自体にも苦言を呈するつもりはありません。
デモという形で自分の意見を伝えるというのは、過激すぎるし町に対して多少なりとも被害を与える(どうあっても「騒音」にはなりますし、デモ集団とは意見が反する者、今回でしたら原発再稼働に賛成している人にとっては害悪になるでしょう)でしょうけども、それを承知の上で、なお自分の意見を伝えようとするのは、並大抵の決意ではできないことだと思います。

特にデモとかあんまりやらない日本では尚更。
内容以前に、まずその行動力には称賛を送りたいと思います。



ただ私が気になったのは、原発再稼働反対のデモ集団が言っていること。
再稼働反対……まではいいんですが、これに付け加えて、「震災現場の瓦礫の受け入れ」をも反対しているんです。

この2つは、果たして同じ問題なのでしょうか。

もちろん根っこは繋がっているでしょう。原発事故が起きたから、放射能に汚染された瓦礫が生まれてしまい、行き場がないから被災地の復興が遅れているのでしょうから。
ただ、「原発の再稼働を反対すること」と、「震災現場の受け入れを反対すること」は、なんだか違う意味を持っている気がしてなりません。

私が思うに、前者は「国民の安全を守るため」という名分だと思います。
原発の再稼働=国民にリスクを伴わせる、ということですから、もし再稼働した原発がまた事故を起こしたら国民に被害が及ぶ、そうしたらどうしてくれるんだ、と言いたいのでしょうから。

でも後者は、「自分たちに危険・負担がかからないようにするため」のように見えるんです。
震災瓦礫の受け入れというのは、被災地の復興の支援でもあるのですから、行うことで助かる人がたくさんいるです。対して原発の再稼働は、助かるのは主に利権者です。
だって大半の原発が稼働していない今、深刻な電力不足にあえぐ、なんてことは起きていませんから。

震災瓦礫を受け入れれば、被災地は少なからず助かる。なのになぜ、瓦礫の受け入れを拒否するか。
それは、自分たちに厄介事が起きないように、ってことになりませんか?



そう考えると、あのデモ隊は結局、独善的でしかないのかもなぁ、と思ってしまいます。

個人的な線引ですが、「偽善」までは全く構わないと思っています。
だって世の中の善行の内、「相手のことだけしか思っていない」「本当の意味で、自分を投げ捨てることができる」ことなんて、本当に僅か、下手すると存在していないかもしれませんから。
これは人間にとって当たり前のことです。別におかしくありません。

ただ「独善」は駄目です。相手のことより自分のことを優先していたり、自分が良くなることを理由に善行をしているのは、善行だとは認めません。

原発再稼働反対と共に、震災瓦礫の受け入れを拒否するのは、自分たちのためだけにしか見えない。

そういう訳で、今日私が見たデモ隊は、ちょっと嫌な感じだなぁ、と思いました。
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[ 2012/10/21 23:05 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)

1+1は?

共通認識はやっかいだー、というおはなし。




「1+1は何?」

と聞かれた時に、私は4つ+αの答えを持ちあわせている訳ですが、皆様はいかがでしょうか。

まず算数的に考えると、普通に1+1は“2”です。
しかし「2進数」という前提を加えると、答えは“10”です。十ではありません、イチゼロです。
(2進数は「2になるごとに桁が繰り上がってゼロになる」数字なので、1桁目が2になる=繰り上がって次の桁が1になり、1桁目はゼロになる)

記号的に考えると、漢字の「田」だったり、看板の形だったりします。この辺は小学生なら誰もが通る道ではないでしょうか。

変数的に考えれば、「答えは偶数である」ということしか言えません。
というのは、“1”という存在が数字としての“1”ではなく、整数型の変数だとするならば、何の数字が内包されているか分からない=回答不可、となります。
ただし同じ数字を足した数は必ず偶数になるため、偶数ということだけは分かります。

……と。

算数の最初に習う、「1+1は何?」だって、このように複数の答えが存在する訳です。

けれど普通の人は、「1+1は何?」と聞けば、答えは“2”と答えるでしょう。
それは日本人の頭に、「1+1」という問題は、算数的に答えるのが常識だとされているからです。

このように、日本人にはある程度の常識、即ち“共通認識”があります。

しかしこの共通認識、四則演算だとか、小学生でも分かる日本語の意味とかなら、ほとんどの人が同じ認識を持っているのでまだいいのですが、これが細分化されたものとなると、非常に厄介です。

最も分かりやすいのは、「人を殺すことをどう思うか」という問いかけ。

普通なら「良くないことだと思う」と答えるでしょう。
しかし、なら“殺人者には守るべき家族がいて、殺人を行わなければ家族が殺される”という「前提」があったら?
答えが善になろうと否となろうと、少なからず悩む時間はあるでしょう。

そう。重要なのは「前提」だと、私は思うんです。

さっきの「1+1は何?」という問題だって、例えば「10進数で計算する」という前提があれば答えは2ですし、「図形として答えを出す」のであれば……まあ人によって田んぼやら看板やらその他諸々あるかもしれませんが、少なからず答えを絞りこむことができます。

殺人者の話でも、最初から殺人者の事情を提示しておけば、ある程度の意見の分散があるでしょう。

しかし、前提がない場合、問いかけの相手が、問いかけた人にとって不都合――どころか、話として噛み合わない答えを返してくることさえあります。

例えばある異性の名前(ここでは「彼女」という名詞を使います)を出して、「彼女についてどう思う?」と聞いた場合。聞いた側をA、聞かれた側をBとします。

Aにとっては、別の友だちCが彼女のことを気にしていて、Cが彼女のことについて色々な人に聞いてみたい=AがまずBに聞いてみた、というつもりかもしれません。

けれど普通、いきなりそんなことを聞かれたら、「あ、こいつ彼女のことが気になってるんだな」と思うでしょう。
当然、話が噛み合わないままスタートします。

こうならないためには、「前提」というのはすごく大切なものだと、私は思います。
この文章をご覧になっている方も、普段の会話を思い出して、「前提」を提示しないまま話を進めてしまっていないか、ちょっとだけ省みては如何でしょうか?

そんなおはなし。
[ 2012/10/10 23:07 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)

言葉の誤用について

ネットで気になるニュースを見つけました。

【国語世論調査】にやける→「薄笑い」、うがった→「疑って掛かる」 誤用が“市民権” - MSN産経ニュース

調査では、「にやける」を本来の「なよなよとしている」という意味で使っている人が14.7%だったのに対し、「薄笑いを浮かべている」と答えた人は76.5%に達した。

 慣用句についても、「本心でないうわべだけの巧みな言葉」を、本来の「舌先三寸」と答えたのは23.3%だったのに対し、本来でない「口先三寸」は56.7%。「快く承諾すること」も、本来の「二つ返事」が42.9%だったのに対し、「一つ返事」は46.4%で、本来の使い方をする人の方が少数派だった。


(中略)

本来の意味の捉え違いについて、文化庁は「言葉は変化していくものでもあるので評価は難しい」としながらも「コミュニケーションの阻害要因にもなりかねないので、広がらない方が望ましい」としている。

(一部抜粋)

最近増えつつある、言葉の誤用について、皆様はいかがお考えでしょうか。

抜粋した文章以外にも、例えば「役不足」は、

本来の意味:自分の能力に対して、与えられた役(仕事など)が低い
誤った意味:与えられた役(仕事)に対し、自分の脳力が低い

という誤用が有名です。かくいう私も過去に一度やらかしたことがあります。

他にも、普段の会話や小説で「にやける」という言葉を、「薄笑いを浮かべている」という意味で使うこともありますし、他には例えば「おもむろに」という言葉を「ゆっくりと」という意味ではなく「突然に」という意味で使ったこともあります。

さて。では日本語の誤用というのは、嘆かわしいものでしょうか。

私はそうは思いません。日本語というのは変化していくものですし、また新たに生まれるものです。奇妙な日本語の代表例(と言っては失礼かもしれませんが)のネットスラングも、リアルで使うのはちょっと引くかもしれませんが、だからといって存在・誕生してはならないものとは思いません。

それでは、誤用が広がりつつある日本語に対して、いかなる対処をするのが正しいのか。

誤用が広がっていることが有名な「役不足」ならまだしも、大半の人が誤用=正しい意味だと勘違いしている「にやける」を本来の意味で使った場合、逆に何を言ってるんだと首を傾げられてしまう恐れがあります。
相手が誤用を正しい意味だと思い込んでいる可能性もありますし、、“こいつ(=発言者)は本来の意味が分かっているのか?(あるいは、本来の意味で使っているのか?)”と首を傾げられることも考えられます。
もしかしたら“こいつは誤用が多い単語を本来の意味で使うことで、自分の博識をアピールしたいのか”と嫌がられる可能性もあります。

文章で書いても同じこと。
例えば日本語の誤用について扱った作品、あるいは会話中で、誤用が多い単語を出してから、本来の意味がどうこうという補足を入れさせれば別に問題はないのですが、普通の言葉として使うと、読者に混乱させてしまう恐れがあります。

だから私が思う正解は、「使わない」こと。

もっと正確にいえば、何か代替となる単語がないか探してみること。

誤用があるからその単語を使ってはならない、とまでは言いません。それだとまるで、この道具は人間が悪用するから製造を禁止する、という馬鹿げた話のようじゃありませんか。
ただ、対話や執筆のように、“誰かに意味を伝えなければならない”時には、誤用が広がっている単語を使うと、間違った意味で伝わってしまう可能性があります。

そこに配慮をするのならば、わざわざ誤用なのか本来の意味なのか分かりにくい言葉を使うよりも、もっと別の、誰が聞いても同じ意味に捉えられる言葉を使った方が、お互いにやりやすいとは思いませんか?

そういう理由で、誤用が広がりつつある単語は、別の言葉を使おうと心がけております。
[ 2012/09/22 22:16 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)

外側か、内側か。

相変わらず変な時間に寝て変な時間に起きる生活が続いています。なんとかしなきゃなー。



さて。

割と私は、怒りっぽい人間でして。

いやまあ、怒りを我慢することは得意なので、あまり人と衝突することはありませんが。
それでも色々なことに、割とすぐ怒りを抱くタイプなんです。

今まではその大半が自分に対して、つまり「自己嫌悪」という形でした。
しかし、ここ最近は自己嫌悪が薄くなり、かなり前を向いて生きるようになってきたため、必然、他の人へと怒りを抱くようになってしまいました。

具体例を挙げるなら。

例えば、「努力しようとしない人」。

私は自分のやっていることを人に押し付けることは絶対にやりませんが、だとしてもまともに努力しようとしない人にはかなりの怒りを抱きます。

で、私は小説系の専門学校に通っている訳で、だとすれば筆頭すべき“やるべき努力”は「小説を書くこと」です。
もちろん、ただ書くだけではなく、どのようにすればより良く書けるか。どのように考えれば成長できるか、ということ。

ですけども。

人の指摘を受け付けない人、あるいは受けようとする態度を見せない人とか。
人の指摘を受けたところで受け入れない人とか。

その場にいる以上、時間を無為に過ごすよりも前へと進んだ方が良いのは確定的なのに、どうしてやろうとしないのかなぁ、と思います。

まあ、成長しない人・努力しない人に未来があるとは思いにくいので、最後には自業自得と切り捨てるしかないのでしょうが……。
私は「私にできることを全力でやる」という考えなので、どうにもなぁ、と。
最近では、色々なことを見捨てつつはありますが。

難しい話です。



反面、頑張ってる人にはものすっごく好きになるんですけど。

両極端な人です。
[ 2012/09/12 06:44 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)

「ACTA」について

数日前に語ってほしいというリクエストがあったので、説明ついでに見解を述べてみます。




「偽造品の取引の防止に関する協定」
別名:模倣品・海賊版拡散防止条約
英語名:〕Anti-Counterfeiting Trade Agreement(通称「ACTA」)

概要としては「知的財産権の保護に関する国際条約」。

(Wikipediaより)


つまり“知的財産権の保護”を大元の目的とした協定のようです。



<簡単な説明>

○そもそもこれって何?
一言で表す「協定参加を阻止しなければならないもの」。
いつぞやの「人権擁護法案」、「TPP参加」、「違法ダウンロード刑罰化」と同じベクトルのものと考えるべき。

なんか日本では数年に1度、必ずこういう出来事が発生する。なぜか日本は数年に1度、馬鹿なお偉いさんの為に危機に陥る運命らしい。
(違法ダウンロード刑罰化についてはごく最近の話だが)



○何が問題なのか。
「やりすぎ」な点が問題となっています。

まず「知的財産権の共有」という行為に罰が下ります。……この時点で察する方は察するでしょうけども、もっと具体的に説明してみましょう。

各地でこの例えはよく用いられているみたいですが、例えば、「料理教室で学んだレシピを他の人に流用した時点でアウト」となります。
なぜなら“料理教室で学んだレシピ”=“料理教室(の主催者)が有する知的財産権”なのだから、それを勝手に共有するのはアウト、ということですから。

この時点で既に色々と深刻だと分かっていただけますでしょうか。

これだけでアウトになるのなら、まず人間と人間がコミュニケーションを行うことができなくなりますよね。
なぜならどの会話にどの知的財産権が含まれているか分からないから。
試しに「今日、友だちとメールした内容」を見返してみるといいと思う。その中に何の情報が含まれているでしょうか? ゲームの攻略法や読んだマンガの内容が含まれていたらおそらくアウトとなるでしょう。

「いやいや何を大げさな」と思われるかもしれないが、あくまで私が考えるのは「最悪のケース」。
こういったことにおいて楽観視するとどうせろくなことにならない。とりあえず危機感を持って欲しい、という意味合いを含めての説明であることをご了承願いたい。

「そんなこと他の人に分からないでしょ」と思うだろうけど、これについては次項で説明します。



○検閲体勢の強化
第一節 一般的義務
第六条 執行に関する一般的義務
1 各締約国は、執行の手続によりこの協定が対象とする知的財産権の侵害行為に対し効果的な措置(侵害を防止するための迅速な救済措置及び追加の侵害を抑止するための救済措置を含む。)がとられることを可能にするため、そのような執行の手続を自国の法令において確保する。(以下略)


(一部抜粋)

まず第一節第六条に明記されていることですが、ACTAに参加している国は「知的財産権の保護のために効果的な法令を確保しなければならない」ことが義務づけられています。
分かりやすく例えるなら、

ある高校のあるクラスがひどく荒れています

そのクラス限定のルールを作ります

って感じです。
これが高校とか小範囲の世界ならいいのですが、対象は国内。つまり日本国全ての人間に対し、新たな法律が定められます。
内容に関しては「各国が確保する」ことなので、日本国が決めることになります。
それがどのような意味かは、最近の民主党の様子を見ていればよく分かるでしょう。ネットでは売国奴などと表現される人たちがルールを作るなんて、考えるだけでゾッとします。

民主党うんぬんはとりあえず横に置くとしても、普通に考えてみてください。
「知的財産権を保護するための法律」ですよ。
もしあなたならどうしますか? 例えばあなたの作った……小説を書いている人なら小説を、音楽を作っている人なら音楽を、絵を描いている人なら絵を……etc。そういったものを保護したい場合、どうしますか?

勝手に知的財産権が共有されないか、監視体制を敷くことになるでしょう。

とならばまず行われるのはネット規制。知的財産権が共有される、最たる場なのですから。
例えばネット上でやり取りされるデータに監視体制を追加すると、「メールでデータを添付しただけでアウト」になりかねません。なぜならどんな内容がアウトになるのか明記されていないのですから
これによる冤罪増加については、後に「私の意見」として述べることと致します。

この辺はダウンロード規制法案と似たようなものがありますね。

さっき述べた「人間のコミュニケーションが~」というのが、大げさではないように思えてきませんか?
ネットが規制された後に矛先を向けられるのは現実ですよ?



○公表されていない協定
国内において何らかの形で問題となる法案に共通しますが、問題点の一つとして、「世間に知らされていない」という点があります。

一応、これでもほぼ毎日テレビでニュースを確認しているのですが、ACTAについて語られたことは1度もありません。私自身も正直、拍手メッセージを頂いて初めて知りました。
しかも協定の流れが、

2010年4月20日:条文案が初めて公開
2011年5月27日:条文最終版が英語、フランス語、スペイン語など22カ国の言語で公開
2012年3月:外務省の日本語訳が公開

って感じです。さらにウィキペディアによると、2011年10月の時点で日本は署名しています。

もしこの協定が正しく必要なものであっても、これで日本政府を信用しろっていうのが無理な話でしょう。




<私の見解と、やるべきこと>

○私の見解
(1)日本国にも多大な影響を与える協定なのに、国民には知らされていないし、日本語訳が公開されたのが署名後
(2)日本国が署名したのが2011年10月である
(3)相変わらず定義や刑事罰が成立する条件が曖昧で、冤罪がいくらでも発生する
(4)知的財産権の交流が盛んなネットの衰退が予測できる時点で論外

以上の理由から、私はこの協定参加を反対致します。

(1)に関しては説明するまでもないでしょう。
国民に何も知らせないまま「ルールが決まったから守ってね~」で済む問題でしょうか。
小規模な集団でも許されることではありません。

(2)はちょっと特殊な理由です。2011年10月というと、東日本大震災が発生してから7ヶ月しか経過していません。復興に全力を注ぐべき時期に、こんなことをやってる日本政府を信頼できますか? 私は無理です。

(3)は今まで散々述べてきた気がしますが、こういう「罰を下す側がいくらでも条件を決められるルール」というのは得てして冤罪が発生します。
ある人が嫌いだ→なんとかして社会的に排除したい→この協定による法律を執行して逮捕、ってことができてしまうのですから。

(4)はちょっと主観的意見になりますが、いかなるルールであれ、インターネットの技術・文化を衰退させるルールには、私は全く賛同できません。技術力というのは常に進化し続ける必要があるのですから、“衰退させる可能性”だけでも消しておくべきです。



○具体的に誰が(何が)困るのか/被害を受けるのか
「インターネット上にて知的財産権を公開・共有している大手サイト」が軒並み潰れることになるでしょう。
具体的に言えばYouTube、ニコニコ動画を始めとする動画共有サイト、ピクシブなどの作品掲載サイトなどなど。
ちなみにインターネットへの知的財産権侵害行為が確認された場合、ネット回線を強制的に切断されるそうです。

困るのはオタクさんだけじゃないか、って思う人は一度、インターネットが世間に与える影響を調べてみてください。
最近の例でいうと、テレビ業界の衰退や、原発反対運動は、ネットからスタートしたものなんですよ。



○やるべきことと現状
「反ACTAオンライン署名」
https://candypop-endoshuichi.ssl-lolipop.jp/acta2/actasig/sig.php


6/20、「違法ダウンロード刑罰化」は1週間足らずの超スピード審議で、可決したのです。早速、JASRACら利権者団体は違法配信を特定する新技術の導入をISPに促しています。違法性について曖昧であり、それは恣意的な運用をも可能とする検閲と言えるでしょう。今後、TPP絡みの非親告罪化、そしてインターネットサービスプロパイダへの監視義務の強制(ACTA)の流れが見えています。今回のDL刑罰化はその重要なステップです。僕達の自由を守る為に声を上げましょう。
(リンク先より文章抜粋)

なんか流れが定例化している気がしますが、オンラインにて署名を行なっているようです。
少しでも反対と思う人は、是非とも署名してくださいませ。
※署名は自己責任でお願いします。「○○に言われたから」と責任逃れするのはやめてください。

それと同時に、この「誰も知らない、危険な協定」を、可能な限り拡散してください。
その際、大切なのは「これは危険だから!」と頭ごなしに決めつけるのではなく、何を持って危険だと思ったのか、しっかり述べることですよ。

ACTAの現状としては、欧州の国際取引委員会に否決されたそうです。
どれほどの影響なのか、私は判断できませんが、良い流れということには変わりありません。



○考えるべきこと
ここから先はACTAの話というより、メディア云々に関する余談となります。

現在の最大メディアといえばやはりテレビでしょうけども、そろそろテレビを信用するのをやめましょう。
私自身、テレビ(主にニュース番組)から情報を仕入れると同時に、インターネット、新聞(実家の家族づてに)からも情報を入手するようにしています。もちろん同じ話題が存在するわけですが、たいていは「テレビが間違っていて、ネットの意見が正しい」ものばかりです。

最近だとこの辺とか。

オスプレイって何が危険なの?真面目に教えてよ 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-5232.html


見ての通り2ちゃんねるニュースまとめサイトですが、侮る無かれ。人間の意見ということには代わりがないのですから。

テレビでは危険だと叫ばれているオスプレイですが、ネットでは「言うほど危険じゃない」となっています。
地元民からの(と思われる)書き込みによると「むしろお金が循環してありがたい」という意見すらあります。

もちろんネットへの書き込みを100%信用するのは危険ですが、どちらが信用できるかと考えた時、今件においてはネットを優先しました。
こんなことが、ここ最近、何度もあります。

テレビから情報を仕入れるのも大切なことですが、テレビの情報を鵜呑みにするのはそろそろやめませんか?
仕入れた情報を吟味することは、支配構造から逃れるための手段の1つです。
“自分で考える力”を身につけましょう。多様化されたメディアは、鍛える場には最適です。





※この記事を書くにあたり、ソース(情報提供)としたサイトは以下のとおりです。

外務省:偽造品の取引の防止に関する協定(ACTA)条文:日本語仮訳(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/ipr/pdfs/acta1105_jp.pdf


ACTAは危険な法案!2chもツイッターも全部閉鎖、インターネット終焉の危機!恐怖の情報統制・監視社会が実現-日本政府の暴走を止めろ! - News U.S. 2012 イルミナティ・在日崩壊ニュース
http://www.news-us.jp/article/267070972.html



※こちらも参考になります。

[ 2012/07/25 23:25 ] 語ってみた | TB(0) | CM(0)









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